青色ダイオード裁判の真相|200億円判決から8億和解への全内幕

青色ダイオード裁判の真相|200億円判決から8億和解への全内幕

青色ダイオード裁判の真相|200億円判決から8億和解への全内幕の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。

20世紀中の実現は不可能とまで囁かれていた高輝度青色発光ダイオード(LED)。そのブレイクスルーを1993年に成し遂げたのが、当時日亜化学工業の技術者であった中村修二氏でした。窒化ガリウム(GaN)を用いた画期的な結晶成長技術は、世界中のエレクトロニクス産業を一変させる世紀の偉業となりました。

しかし、世紀の大発明の裏側で、中村氏の心には組織に対する深い不信感が蓄積していました。当時の手記や退職後の記者会見で本人が吐露した「中村修二 怒りの理由」は、単に金銭の多寡だけではありませんでした。

地方の一中堅企業であった日亜化学において、中村氏はほぼ独力で実験装置を改造し、周囲の反対や開発中止命令を受けながらも研究を継続しました。しかし、製品が世界的な大ヒットを記録し同社に巨額の利益をもたらしたにもかかわらず、特許出願時に支払われた報奨金は規定通りの「わずか2万円」に過ぎませんでした。自著やメディアの特番インタビューで中村氏は「会社のために身を粉にして働いても、技術者は使い捨ての歯車に過ぎないのかという絶望があった」と当時の心境を生々しく語っています。

1999年に日亜化学を退職し、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の教授に就任した中村氏に対し、日亜化学側は米国の競合企業クリー社(現ウルフスピード)への移籍などを巡り、企業秘密漏洩などで米国裁判所に提訴しました。この攻撃に対し、自らの正当性と技術者の尊厳を証明すべく、中村氏が2001年8月に東京地裁へ逆提訴に踏み切ったことこそが、青色LED特許訴訟の真の発端でした。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。