竹島(韓国名・独島)をめぐる摩擦の根底には、国際法上の解釈と歴史的認識をめぐる決定的な溝が存在する。日本側は1905年に閣議決定を経て島根県に編入し、無主地先占の法理に基づいて領有権を確立したと主張。これに対し韓国側は、それ以前の古文書や地図を根拠に古くから自国領として認知・管理していたと対立姿勢を崩さない。
対立が解けぬ最大の論点の一つが、第二次世界大戦後の領土処理を定めたサンフランシスコ平和条約の条文だ。同条約第2条(a)には日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と記されているが、ここに「竹島」の明記がない。日本国外務省はこの記述を「竹島が日本領として残された明白な証拠」と捉える一方、大韓民国外交部は朝鮮に付属する島嶼に含まれていたと解釈する。この条約解釈のズレが、今日まで尾を引く法的論争の起点となっている。