なぜ「かむながらの道」は、歴史の表舞台で体系的な宗教として教義化されなかったのか。その答えは極めて逆説的だ。教義や戒律にして固定化した瞬間、それは「作為」となり、生きた自然の流動性から零れ落ちてしまうからである。
古代の日本人が秘めやかに伝えてきたのは、「答えを持たない強さ」だった。白黒をつけず、矛盾を矛盾のまま抱きとめ、清濁併せ呑む。自己の小さなエゴを手放し、大きな生命の流れに身を任せるとき、人は孤独な個人であることをやめ、宇宙そのものとひとつになる。これこそが、歴史の闇に隠されながらも脈々と受け継がれてきた、現代人が最も渇望している真の生き方の秘密である。