学習者が最も圧倒されるのが、音韻の複雑さである。広東語の声調9声と発音の難易度は、世界中の諸言語と比較しても際立っている。
普通話の声調は第1声から第4声までの「4種類」に加え、軽く添える軽声が存在するのみである。これに対し、広東語には音の高低と上がり下がりを組み合わせた「6つの基本調型」が存在する。さらに、音節の末尾を唇や舌で瞬時に閉鎖する「入声(にっしょう:-p, -t, -k)」が加わる。この入声がピッチの違いによって高・中・低の3つに分岐するため、伝統的な音韻学では合計「9声」として体系化されてきた。
具体的には以下の9種類に分類される。
- 第1声(陰平):高平調(高く平らに伸ばす)
- 第2声(陰上):中昇調(中くらいの高さから急激に持ち上げる)
- 第3声(陰去):中平調(中くらいの高さで平らに保つ)
- 第4声(陽平):低降調(低音からさらに深く落とし込む)
- 第5声(陽上):低昇調(低い音から中音へ引き上げる)
- 第6声(陽去):低平調(低い位置で平らに保つ)
- 第7声(陰入 / 上入):第1声と同じ高さの短い詰まる音(-p, -t, -k)
- 第8声(中入):第3声と同じ高さの短い詰まる音(-p, -t, -k)
- 第9声(陽入 / 下入):第6声と同じ高さの短い詰まる音(-p, -t, -k)
この入声の存在こそ、日本人の古文読解や漢字感覚と不思議な接点を持つ。日本語で「学(ガク)」「八(ハチ/ハツ)」「十(ジュウ/ジフ)」と促音化する漢字は、古代漢語で末尾に -k, -t, -p を持っていた痕跡だ。普通話ではこれらの子音末尾が完全に脱落し、「xué(シュエ)」「bā(バー)」「shí(シー)」と開放母音化してしまった。しかし広東語では、今なお「hok6」「baat3」「sap6」と、1000年前の宋代詩歌を詠じた当時の音韻がそのまま機能している。
「広東語で唐詩を朗読すると完璧に韻を踏むが、北京語で読むと韻が崩れる」と言われる所以はここにある。発音の習得難易度は極限に高いものの、古代東アジアの音の化石を今に生きる言葉として操れる点は、言語学習者にとって抗いがたい魅力となっている。