静岡銘菓・安倍川餅とは?家康伝説の真相と信玄餅との違いを解明

静岡銘菓・安倍川餅とは?家康伝説の真相と信玄餅との違いを解明

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静岡銘菓・安倍川餅のルーツを語る上で欠かせないのが、江戸幕府を開いた徳川家康との深い縁です。慶長年間(1596〜1615年)、家康が駿府城に在城していた折、安倍川の茶屋に立ち寄った際のエピソードが現代まで語り継がれています。

当時、安倍川上流の梅ヶ島付近には武田信玄や家康が軍資金の源泉とした金山が存在していました。街道沿いの茶店店主は、すり鉢で挽いた黄色いきな粉を金山から採掘される「砂金」に見立て、つきたての餅にまぶして家康に献上しました。店主が機転を利かせて「これは安倍川の上流で採れる黄金の粉をまぶした『金粉餅(きんぷんもち)』でございます」と言上したところ、家康はその機知と美味さに大いに感服。「めでたい餅である」として、川の名を取って「安倍川餅」と命名したと伝えられています。

江戸中期の東海道中膝栗毛(十返舎一九著)にも、主人公の弥次さん喜多さんが安倍川の茶屋で餅を食べる場面が活写されており、当時すでに旅人の疲労を癒やす名物として定着していたことが記録されています。金箔を直接使うのではなく、きな粉の黄金色を砂金に見立てた庶民のウィットと、それを快く受け止めた天下人の度量が、この名菓を日本全国に知らしめる契機となりました。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。