辻村深月氏の文学的ルーツを知る上で避けて通れないのが、鮮烈極まるデビューの経緯と、直木賞に代表される「人間の暗部を描き抜いた短編群」の存在です。
千葉大学在学中に書き上げた怪物デビュー作の執筆経緯
辻村氏の処女作『冷たい校舎の時は止まる』は、彼女が千葉大学教育学部在学中に執筆され、第31回メフィスト賞を受賞した伝説的タイトルです。講談社ノベルスで上下巻、文庫版では全3巻というデビュー作としては異例の超大作であり、総ページ数は1000ページを超えます。雪の降る登校日、静まり返った校舎に閉じ込められた8人の高校生。彼らは学園祭の日に自殺した同級生の名前を思い出そうとしますが、誰もその名を思い出せません。
当時24歳の辻村氏が自らの高校時代の生々しい記憶、思春期特有の孤独感やスクールカーストの息苦しさをインクに変えて叩きつけた本作は、メフィスト賞選考委員たちに「怪物が現れた」と激震を走らせました。このデビュー作で登場したキャラクターやその血縁者は、その後の辻村作品(『子どもたちは夜と遊ぶ』『ロードムービー』など)に形を変えて繰り返し登場することとなり、壮大な「辻村ユニバース」の揺るぎない礎石となりました。
直木賞受賞作『鍵のない夢を見る』に見るイヤミスの凄みと短編集まとめ
辻村氏は長編の構築力もさることながら、濃密な短編の名手としても名高い作家です。その頂点に位置するのが、第147回直木賞を受賞した短編集『鍵のない夢を見る』です。本作に収録された5つの短編に登場するのは、地方都市で暮らす平凡な女性たち。彼女たちが日常のふとした見栄や承認欲求、婚活への焦りから足を踏み外していく過程が、冷徹な筆致で描かれます。
読後に嫌な後味が残るミステリー、通称「イヤミス」の特徴を極限まで洗練させた本作について、直木賞選考委員の桐野夏生氏は「人間の卑小さ、醜さを捉える確かな視線」を高く評価しました。読後感の爽やかな青春小説とは対照的に、人間のエゴを一切の妥協なく暴き立てる辻村氏のダークサイドを味わいたい読者には必読の一冊です。短編・中編集としては他にも、家族の温もりを描いた『幸せ菓子展プレミワール』や、日常の奇妙なズレを描く短編集などが揃っており、長編読書への導入としても機能しています。