三宅雪子氏の生い立ちは、戦後日本政治のメインストリームと深く結びついています。母方の祖父は、石橋湛山内閣や岸信介内閣で内閣官房長官、労働大臣などを歴任した自民党の実力者・石田博英氏。父は国際舞台で活躍した外交官という、まさに絵に描いたような名門の家柄に生まれました。名門女子校から玉川大学を卒業後、米国オハイオ大学への留学を経て、1988年にフジテレビへ入社します。
フジテレビ時代は報道局や営業局、CSR推進室などで手腕を発揮。社内でも行動力のあるキャリア女性として知られていました。同局の社員(制作現場関係者)と結婚し、家庭と仕事を両立させる順風満帆な生活を送っていましたが、その運命を大きく変えたのが2009年の第45回衆議院議員総選挙でした。
当時の民主党代表代行であった小沢一郎氏に見出され、群馬4区から自民党の重鎮・福田康夫元首相の刺客として出馬を表明。いわゆる「小沢ガールズ」の筆頭格としてメディアに連日取り上げられ、小選挙区では敗れたものの比例北関東ブロックで見事に復活当選を果たし、衆議院議員のバッジを手にしました。しかし、この華々しい政界進出こそが、後に彼女を追い詰める過酷な日々のプロローグとなったのです。