シャチによる痛ましい人身死亡事故のほぼすべては、野生の大海原ではなく、コンクリートで囲まれた人工のプールで発生しています。その象徴として知られるのが、アメリカの海洋テーマパーク「シーワールド・オーランド」で飼育されていた体重約5.4トン、体長6.9メートルを誇る巨大な雄シャチ、ティリカム(Tilikum)にまつわる一連の悲劇です。
シャチの死亡事故における過去の経緯を辿ると、ティリカムは生涯で3件の人命喪失に関与しています。1991年にカナダのシーランド・オブ・ザ・パシフィックで女性調教師のケルシー・バーン氏が転落して溺死した事故、1999年に閉館後のシーワールドに不法侵入した男性客がプール内で遺体となって発見された事件、そして世界に激震を走らせたのが2010年2月24日の出来事でした。
ベテラン調教師であったドーン・ブランショー氏は、ショー直後のリラクゼーションセッション中、ティリカムのすぐそばで指示を出していました。当時の調査資料および目撃証言によると、ブランショー氏のポニーテールが水面に垂れ下がった瞬間、ティリカムが彼女の髪を咥え、一瞬にして冷たい水中へと引きずり込んだと記録されています。水中での激しい揺さぶりによってブランショー氏は多発外傷と溺水により即死しました。現場に居合わせた関係者の手記には、「ティリカムは怒りに狂っていたというより、調教師をオモチャのように執拗に離さず、自らの支配下に置こうとしていた」という戦慄の証言が残されています。
この事件は単なる「不慮の事故」では終わりませんでした。米労働安全衛生局(OSHA)はシーワールドに対して厳しい是正勧告を出し、調教師が防護柵なしでシャチと同じ水域に入ることを事実上禁止しました。さらに、この悲劇の裏側にあるシャチの水族館飼育における危険性を告発したドキュメンタリー映画『ブラックフィッシュ(Blackfish)』が2013年に公開されると、世界的な大反響を巻き起こします。幼少期にアイスランド沖で母シャチから強制的に引き離され、狭隘なプールで数十年にわたり感覚遮断と過密飼育を強いられたティリカムの精神的トラウマ、そしてそれがもたらした攻撃行動の引き金が白日の下に晒されたのです。