泥沼化する闘争の現場に、新たな勢力が雪崩れ込んできた。1960年代末、全国で激化していた大学紛争の退潮に伴い、活動の拠点を求めていた全日本学生自治会総連合をはじめとする新左翼学生たちである。やがて現地は、ヘルメットにゲバ棒、鉄パイプを携えた武装勢力が集結する「革命の砦」と化した。
なかでも突出した過激さで警察権力と衝突したのが、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)などの武闘派セクトだった。彼らは三里塚の大地に地下要塞や鉄塔を築き、火炎瓶や投石機を用いて機動隊を迎え撃った。1971年の第二次行政代執行では、警備にあたっていた警察官3名が襲撃されて命を落とす東山事件が発生。農民の生活防衛運動だったはずの現場は、国家転覆を掲げる政治闘争の最前線へと完全に変貌してしまった。
過激派の介入は、反対同盟の内部にも深い亀裂を生んだ。暴力によるエスカレーションを歓迎する過激派と、平和的手段で土地を守りたい農民との間に生じた疑心暗鬼は、後に同盟の分裂という悲劇的な結末を引き起こすことになる。