1962年(昭和37年)5月場所限りで現役を引退した初代若乃花は、年寄・二子山を襲名し、杉並区に二子山部屋を創設しました。師匠としての指導方針も、現役時代と同様に徹底した鍛錬主義でした。
部屋からは、後に横綱へ昇進する2代目若乃花幹士(勝晃)や「ポパイ」の愛称で親しまれた第59代横綱・隆の里俊英、美男大関として人気を博した若嶋津六夫など、数多くの名力士を輩出しました。糖尿病を患いながらも猛稽古で横綱に登り詰めた隆の里の生き様には、初代若乃花の教えが色濃く反映されていました。
さらに1988年(昭和63年)には、盟友・栃錦(春日野理事長)の跡を継ぎ、第6代日本相撲協会理事長に就任します。その在任中に成し遂げた最大の功績が、「新両国国技館の建設・移転事業の完成」でした。
蔵前国技館の老朽化に伴い、総工費約150億円をかけた新国技館の建設は協会の命運を握る大事業でした。初代若乃花は持ち前の実行力と厳格な資金管理を発揮し、外部からの借入金を一切作ることなく、完全な無借金経営で新国技館を竣工させました。現在、大相撲の本拠地として機能している両国国技館の強固な経営基盤は、初代若乃花の並外れた経営手腕によって築かれたものです。