厳格なリーダーとしてグループを率いたいかりや長介の存在感は絶対的だった。その傍らで「何だバカヤロー」のフレーズとともに異彩を放っていたのが荒井注だ。荒井の独特な存在感と脱力系キャラは初期のコントに不可欠なアクセントであったが、1974年に体力の限界などを理由に電撃脱退を表明する。
この最大の危機を救ったのが、当時付き人を務めていた志村けんの正式メンバー昇格だった。弱冠24歳で大抜擢された志村は、当初の苦戦を乗り越え「東村山音頭」や「ヒゲダンス」などの爆発的ヒット企画を次々と連発。荒井注の脱退というピンチを、グループ最大の黄金期へとおし進める転機へと変えてみせた。