養源院を訪れる参拝者の多くが息をのむのが、本堂廊下に広がる「血天井」です。寺院の天井になぜ武士の血痕が残されているのか、その理由には関ヶ原の戦いの前哨戦となった「伏見城の戦い(1600年)」の壮絶な悲劇が関係しています。
徳川家康が会津の上杉征伐へ向かった隙を突き、石田三成ら西軍の大軍約4万が伏見城を包囲しました。城を死守するよう命じられた家康の重臣・鳥居元忠率いる城兵約2,000名は、圧倒的な兵力差の中で猛烈な籠城戦を展開。最後は城内に火が放たれる中、残った鳥居元忠以下約380名が御殿の一室で壮烈な集団自刃を遂げました。
真夏の炎天下に放置された遺体からは大量の血が床板に染み込み、脂とともに木目に焼き付いて洗い流すことができなくなりました。戦後、伏見城を取り壊すにあたり、徳川家のために命を捧げた忠臣たちの遺血が染み込む床板を足蹴にすることは忍びないとして、床板を寺院の天井板に転用し、諸将の霊を永代供養することにしたのです。これが養源院をはじめとする京都数カ所に現存する血天井の由来です。
養源院の血天井を見上げると、手形や足形、鎧を着た武士が倒れ伏した姿が生々しい黒褐色の染みとなって残されており、400年以上前の凄惨な現場の空気がダイレクトに伝わってきます。