最前線で命がけの指揮を執っていたのが、福島第一原発の吉田昌郎所長(当時)である。免震重要棟で事故処理にあたる現場と、東京・永田町の官邸との間には、時に致命的な認識の隔たりが生じていた。海水注入の中断命令をめぐる錯綜など、東電本店を経由する情報伝達の過程で生じた「目詰まり」が、双方の不信感を決定的なものにした。
吉田昌郎は現場の判断を優先し、自らの責任で海水注入を継続。破滅的な事態の回避へ向けて死闘を繰り広げた。もし官邸と現場が直接、正確な情報を共有できていれば回避できた混乱も少なくなかったとされる。指導者の焦りと現場指揮官の意地が交錯した末に、紙一重で壊滅的な崩壊が免れたという現実は、現代の組織論にとっても重い課題を投げかけている。