1945年8月15日、昭和天皇による玉音放送によって太平洋戦争は終結を迎えました。しかし、現場の日本軍部には「徹底抗戦」を叫ぶ強硬派が依然として残り、クーデターの危機が現実味を帯びていました。鈴木貫太郎内閣が総辞職する中、国家の分裂と暴発を絶対に防ぐ唯一の防波堤として白羽の矢が立ったのが、陸軍大将であった東久邇宮稔彦王でした。
皇族でありながら軍の長老でもあった稔彦王は、昭和天皇と極めて濃密な親族関係にありました。稔彦王の妻である聡子内親王は明治天皇の第九皇女であり、昭和天皇から見れば「義理の叔父」にあたります。さらに昭和天皇の皇后(香淳皇后)の叔父(久邇宮邦彦王の弟)でもあり、皇室の重鎮として軍部に対する絶大な抑止力を期待されたのです。
組閣にあたり、稔彦王は文相に前田多門、国務大臣に緒方竹虎や近衛文麿、外相に重光葵(後に吉田茂)を配するなど実力者を揃え、8月17日に東久邇宮内閣が正式に発足しました。最大の任務は「降伏文書の調印」と「陸海軍700万人の武装解除」を無血で成し遂げること。血気にはやる将校たちも皇族の命には抗えず、日本は決定的な内乱を回避して平和裏に進駐軍を迎え入れることに成功しました。