大英帝国「栄光ある孤立」の真相|なぜ最強国家は日英同盟を選んだのか

大英帝国「栄光ある孤立」の真相|なぜ最強国家は日英同盟を選んだのか

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ボーア戦争によって安全保障上の脆弱性が露わになったイギリスに、さらなる地政学的脅威が迫ります。それがドイツ帝国の急激な台頭とロシア帝国のユーラシア東方への拡張でした。

ドイツでは皇帝ヴィルヘルム2世が掲げる「世界政策」のもと、海軍大臣ティルピッツが主導して1898年と1900年に相次いで艦隊法を制定しました。イギリスの制海権を公然と脅かす建艦競争を仕掛けてきたのです。北海を挟んですぐ目と鼻の先に巨大な外洋艦隊を建設し始めたドイツの存在は、イギリスにとって死活問題となりました。イギリスは本土防衛のために、世界中に分散配置していた海軍戦力を本国近海に再集結させざるを得なくなります。

一方、ユーラシアの反対側である東アジアでは、義和団事件(1900年)を機にロシア帝国が満洲を軍事占領し、朝鮮半島へと触手を伸ばしていました。海軍戦力を本国に集中させたいイギリスには、単独で極東の広大な海域と利権をロシアから守り切る余力は残されていませんでした。

ここでイギリス外交史における歴史的転換が訪れます。1902年、イギリスは新興国・日本との間で「日英同盟」を締結しました。これにより、イギリスはアジアにおける対ロシア防衛の重荷を日本海軍・陸軍と分担し、極東でのプレゼンスを維持することに成功します。かつて大陸の列強を眼下に見下ろしていた大英帝国が、自らの防衛線を維持するために他国の軍事力に依存した瞬間であり、名実ともに「栄光ある孤立」を完全に放棄した決定打となりました。

その後、イギリスは1904年に英仏協商、1907年に英露協商を相次いで結び、かつての宿敵たちと手を結んで対ドイツ包囲網(三国協商)を構築していきます。孤高の覇権国家は、自ら張り巡らせた同盟のネットワークへと雪崩を打って身を投じていきました。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。