本作が単なる犯罪ミステリーにとどまらず、心理サスペンスの傑作として評価され続ける理由は、登場人物たちの歪んだ心理力学にあります。特に、観客に強烈な恐怖を与えるダンヴァース夫人の行動原理は、現代の臨床心理学における「代理自己(エコーイズム)」と「心理的バウンダリー(境界線)の喪失」で説明がつきます。
ダンヴァース夫人にとって、幼少期から世話をしてきたレベッカは自身の存在価値そのものでした。レベッカが亡くなった後も、彼女の下着やブラシを完璧な状態で維持し、新妻に対して「あなたにはこの部屋を使う資格がない」「飛び降りて死になさい」と精神的に追い詰めるガスライティング(精神的虐待)を仕掛けます。彼女にとって屋敷マンダレイは、亡きレベッカとの閉じた共依存関係を永遠に保存するための霊廟だったのです。
また、原作者デュ・モーリアの卓越した仕掛けとして、主人公の「わたし」には劇中で一度も本名が与えられていません。常に「ド・ウィンター夫人」「あの子」と呼ばれる演出は、彼女が抱えるインポスター症候群(自分には価値がないという偽物感)を象徴しています。「完璧な前妻の影」に怯えていた主人公は、夫の過去の秘密を知り、自分が本当に愛されていると確信した瞬間、初めて精神的な自立を果たします。名無しの少女が「ド・ウィンター夫人」としての自己を確立していく脱皮のドラマこそが、本作の真のテーマと言えます。