法隆寺の七不思議と1400年の謎を暴く!斑鳩の地に立つ世界遺産の真価

法隆寺の七不思議と1400年の謎を暴く!斑鳩の地に立つ世界遺産の真価

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法隆寺の草創期を語るうえで避けて通れないのが、聖徳太子(厩戸皇子)の存在です。用明天皇のために建てられた斑鳩寺(鵤寺)を前身とし、仏教を中心とした国づくりを志した太子の理想郷として構想されました。

しかし、『日本書紀』天智天皇9年(670年)条には「法隆寺に災あり、一屋も余すこと無く焼く」という衝撃的な記述が残されています。この一行を巡り、明治時代から昭和初期にかけて建築史学者・関野貞氏と歴史学者・喜田貞吉氏の間で「法隆寺再建非再建論争」が勃発しました。関野氏は「現存する金堂や五重塔こそが創建当時の飛鳥建築であり焼けていない」と主張し、喜田氏は「書紀の記述通り焼失後に再建された」と真っ向から対立したのです。

この歴史的論争に終止符を打ったのは、徹底した発掘調査と現代科学のメスでした。昭和14年(1939年)、現伽藍の南東に位置する「若草伽藍」の発掘が行われ、創建当初の塔や金堂の基壇、焼けた瓦が次々と出土。さらに2000年代以降、奈良文化財研究所による年輪年代測定法によって、現存する金堂の部材が660年代後半から670年代に伐採されたヒノキであることが証明されました。つまり、創建時の伽藍は一度灰燼に帰したものの、太子の遺志を継ぐ人々によって7世紀後半から8世紀初頭にかけて忠実に再建されたことが確固たる事実として裏付けられたのです。

中島 亮太
著者

中島 亮太

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