江戸時代、三つ葉葵は単なる家柄のシンボルを超え、「天下人の不可侵な権威」そのものとして機能していました。しかし、戦国時代初期には三河地方(現在の愛知県東部)の多くの武士が葵紋を日常的に使用しており、決して徳川家(松平家)だけの専売特許ではありませんでした。
状況を一変させたのが、江戸幕府による徹底的な統制政策です。徳川家康が天下を掌握すると、葵紋の権威を絶対的なものにするため、他家に対する使用制限が段階的に進められました。そして第5代将軍・徳川綱吉の時代である元禄年間から享保年間にかけて「葵紋使用禁止令」が本格化し、大名や旗本はもちろん、町民の着物や調度品、歌舞伎の衣装や瓦の文様に至るまで、無断使用が固く禁じられたのです。
もし禁を破って偽造や私用を行えば、厳しい取り調べの末に処刑や改易(領地没収)といった重罪に問われました。葵紋を独占することは、徳川将軍家が武家の頂点であることを視覚的に全国へ知らしめる、極めて有効なブランディング戦略だったといえます。