観客が最も衝撃を受ける疑問点、すなわち夜の女王が悪役となった理由は、単なるおとぎ話の悪者という枠組みを遥かに超えています。音楽劇作家エマヌエル・シカネーダーが手がけた台本には、18世紀ウィーンを席巻していた啓蒙思想と秘密結社フリーメイソンの理念が色濃く反映されていました。光と理性(ザラストロ)が迷信と情念(夜の女王)を打破するという時代精神の具現化です。さらに当時のオーストリア女帝マリア・テレジアがフリーメイソンを厳しく弾圧した史実から、夜の女王は啓蒙を拒む旧体制の権力者の戯画化であったとする解釈も根強く存在します。
一方で、現代の心理学者や演出家が着目しているのは、生々しい「母娘の共依存と支配の構造」です。夜の女王は娘を一個の独立した人格として愛しているのではなく、自らの復讐を成し遂げるための「道具」として扱っています。後述する第2幕のアリアにおいて、彼女はザラストロを暗殺するよう娘に短剣を差し出し、それを拒むなら母子の縁を切ると宣告します。この身勝手な振る舞いは、日本社会でも頻繁に議論される「毒親(ドクオヤ)」の病理そのものです。
健全な親子関係に必要な心理的バウンダリー(境界線)を自ら踏みにじり、娘の罪悪感を刺激して精神的拘束を試みる夜の女王の姿は、200年の時を超えて今なお背筋を凍らせるリアリティを放っています。