市ヶ谷台ツアーの最大の白眉は、防衛庁移転計画に伴い旧1号館の一部を解体・移築して建設された市ヶ谷記念館です。建物内には、昭和史の転換点となった決定的な現場がそのままの姿で保存されています。
極東国際軍事裁判(東京裁判)の舞台となった大講堂
記念館1階の大講堂は、1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)にかけて極東国際軍事裁判が開廷された歴史の舞台です。GHQによって天井や壁面が改装された当時の意匠が忠実に復元されており、東條英機をはじめとする戦犯被告人たちが並んだ法廷の空間スケールをそのまま体感できます。壇上やフロアの木製部材には当時のオリジナル素材が使われており、足を踏み入れた瞬間に張り詰めた緊張感が漂います。
旧東部方面総監室に残る三島由紀夫事件の刀傷
2階に上がると、1970年(昭和45年)11月25日に作家・三島由紀夫が「楯の会」メンバーとともに突入し、演説の後に自決を遂げた旧東部方面総監室が再現されています。この部屋で最も来訪者の視線を集めるのが、総監室の正面扉に残された三島事件の刀傷の痕跡です。
益田兼利総監を人質に取って立てこもった際、救出を試みた自衛官たちを威嚇・防戦するために三島らが日本刀(関の孫六)を振るった際に刻まれた3本の深い刀傷が、ガラス板などで保護されることなく、当時のままの木肌に刻み込まれています。現場の案内官による当時の肉声記録や手記の解説を交えた説明は迫力に満ちており、戦後日本社会に投げかけられた思想的衝撃の大きさを物語っています。
戦時下の地下司令部「大本営地下壕」の威容
敷地内には、太平洋戦争末期に大本営陸軍部や陸軍省が空襲を避けて指揮を執るために構築した大本営地下壕が今も眠っています。巨大なコンクリートで覆われた地下シェルターは、内部の崩落リスクや安全確保の観点から通常ツアーでは坑口周辺や地上部の換気塔・通信施設跡の見学が中心となりますが、その重厚な佇まいは戦争末期の切迫した軍事中枢の空気を今に伝えています。