戦国最強の一族とも称される織田家ですが、そもそも織田信長の弟は何人いたのでしょうか。同時代の一級史料である太田牛一の『信長公記』や織田家の系譜類(『織田系図』など)を突き合わせると、尾張の虎と呼ばれた父・織田信秀の子どものうち、男子は少なくとも12人確認されています。
長男とされる織田信広は庶子であったため、正室・土田御前から生まれた信長が嫡男(次男)として家督を継ぎました。つまり、信長から見て「弟」に該当する男子は少なくとも10人以上存在したことになります。当時の武家社会では側室の多さや夭折、養子縁組が頻繁にあったため諸説ありますが、織田信長 家系図 兄弟一覧における代表的な弟たちの顔ぶれは次の通りです。
信長にとって特に重要な存在だったのが、同じ土田御前を母に持つ同母弟の織田信勝(三男)、叔父・織田信光の死後に名門・長野工藤氏や丹波柏原藩主へとつながる織田信包(四男)、そして信長が溺愛した美少年として名高い織田秀孝(五男)でした。さらに、信長包囲網の激戦で命を落とした織田信興(七男)、利休十哲の一人に数えられ茶道史に不朽の名を残す織田長益(有楽斎・十一男)など、その顔ぶれは実に多彩です。
尾張統一の基盤を固めるにあたり、信秀は息子たちを要所へ配置する「一族防衛網」を敷いていました。しかし信秀の急死によって求心力が低下した結果、この広大な兄弟網が皮肉にも血で血を洗う家督争いの引き金となっていったのです。