竹島が日本の領土である根拠は、明治期の近代的な編入措置だけにとどまりません。歴史的な文書や地図を紐解くと、江戸時代初期にはすでに日本人がこの海域を利用し、幕府から公式な渡海免許を得て活動していた動かぬ証拠が存在します。
1618年、米子の商人である大谷・村川両家は、江戸幕府から鬱陵島(当時の呼称は「竹島」)への渡海免許を受けました。その航行の途上における中継地、あるいは豊かな漁場として利用されたのが現在の竹島(当時の呼称は「松島」)でした。外務省が公開している古文書資料によると、日本は遅くとも17世紀半ばには竹島の領有権を確立していたことが裏付けられています。
第二次世界大戦後の国際秩序形成においても、竹島の帰属は明確に処理されました。終戦後の1951年に署名されたサンフランシスコ平和条約(第2条a)において、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」が明記されましたが、竹島はここに含まれていません。条約起草の過程で、韓国側は米国に対して「放棄地域に竹島(独島)を加えてほしい」と公式に要請したものの、米国政府はラスク極務次官補書簡を通じて「竹島は朝鮮の一部として扱われたことはなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にある」と回答し、韓国側の要求を明確に拒絶しました。これによって、国際法上も竹島が日本領として維持されたことは歴史的真相として記録されています。