実際に身内が亡くなり、正五位叙位の一報を所轄官庁や自治体から受けた遺族の現場には、世間のイメージとは大きくかけ離れた実情があります。
「正五位を授与される」と聞くと、世間ではどこか華やかで贅沢な印象を持たれがちですが、残された家族が直面するのは厳粛な名誉の継承と、実務的な手続きです。
まず、手当や給付金などの金銭的授受は前述の通り一切ありません。それどころか、授与された縦約30センチ、横約45センチにおよぶ大判の「位記」を大切に保管・掲示するために、数万円から数十万円する専用の高級額縁(叙位・叙勲専用額)を自費で購入するケースがほとんどです。
ある地方公務員OBの遺族は、当時の状況について次のように述懐しています。
「訃報直後の慌ただしい中で県庁の担当者から連絡があり、書類の確認に追われました。近所の方からは『国から何か出るんでしょう?』と興味本位で尋ねられましたが、金銭的な話はまったくありません。ただ、天皇陛下のお名前が記された位記が届き、仏前に供えた瞬間、長年愚直に公務に尽くしてきた父の苦労が報われた気がして、家族全員で頭を下げました」
位階は故人の一身に専属する栄典であるため、遺産相続の対象にもならず、相続税が課されることもありません。世間の「お金になるのでは」という俗説と、現場の「生涯の証としての純粋な誇り」との間には、明らかな認識の断絶が存在しています。
【プロの結論】名誉と実利を切り離す日本の栄典制度から学ぶべき教訓
現代の資本主義社会においては、あらゆる成果やステータスが「年収」「資産額」「経済的見返り」といった換金可能な数字で測られがちです。その価値観に慣らされた読者ほど、「お金が出ないのなら位階など意味がないのではないか」と冷笑的な見方をしてしまう傾向があります。
しかし、名誉と実利を徹底して切り離した現在の栄典制度にこそ、成熟した近代国家の知恵が凝縮されています。もしも位階にお金や手当という利権を付与してしまえば、叙位は政治的な利害や既得権益の温床となり、審査の公平性はたちまち崩壊します。見返りを求めずに社会の基盤を支え続けた人物の「無私の献身」を証明するためには、純粋な名誉としての顕彰でなければならないのです。
この仕組みから私たちが汲み取るべき教訓は、人生における本当の社会的評価は、生涯でいくら稼いだかではなく、他者や社会にどれだけの価値を残したかで決まるという事実です。目先の利益獲得にとらわれる現代だからこそ、死後に国家から贈られる「正五位」という静かな栄典の重みが、人生の意義を問い直す契機となります。