坂本龍馬は何をした人?3大功績と暗殺の真相・生涯を完全解説

坂本龍馬は何をした人?3大功績と暗殺の真相・生涯を完全解説

坂本龍馬は何をした人?3大功績と暗殺の真相・生涯を完全解説について見逃せない 理由を厳選して解説いたします。

坂本龍馬が歴史の教科書に大きく刻まれている理由は、武力で敵を倒したからではありません。利害が激しく対立していた幕末のキーマンたちを対話と構想力で結びつけ、「流血を回避しながら国家体制を根本から作り替えるプロデュース」を成し遂げた点にあります。龍馬の凄さを理解する上で欠かせない3つの決定的な功績を整理します。

1. 薩長同盟の仲介(1866年)|犬猿の仲を結びつけた奇跡のロジスティクス

当時の二大雄藩であった薩摩藩(西郷隆盛・大久保利通ら)と長州藩(桂小五郎ら)は、禁門の変などで激しく戦い、互いに激しい敵対関係にありました。しかし、幕府を倒して新しい国を作るためには両藩の軍事力と政治力の統合が不可欠でした。

そこで龍馬は、双方が喉から手が出るほど欲していた「物資の利害関係」に着目します。幕府の経済制裁で兵器や軍艦が買えずにいた長州藩に対し、薩摩藩名義でイギリスから最新鋭のライフル銃や蒸気船を買い付け、その見返りとして兵糧米が不足していた薩摩藩へ長州から米を供給するという取引を成立させました。感情論で反発し合う両者を「武器と兵糧の物々交換」という実利で結びつけ、慶応2年(1866年)1月に京都で歴史的な「薩長同盟」を成立させたのです。

2. 大政奉還の推進と「船中八策」|平和的政権交代シナリオの提示

討幕派が武力によって幕府を殲滅しようと動くなか、龍馬が目指したのは「無駄な内戦を避け、国力を消耗させずに近代国家へ移行する道」でした。内戦を起こせば、当時アジアへ触手を伸ばしていた英仏などの列強諸国に日本が侵略される危険性があったためです。

龍馬は土佐藩の後藤象二郎を通じて前藩主・山内容堂を説得し、徳川第15代将軍・徳川慶喜に対して政権を朝廷へ返上する「大政奉還」を建白させました。この際、長崎から京都へ向かう船の中で起草されたとされるのが「船中八策」です。そこには「議会政治の導入」「憲法の制定」「海軍の創設」「外国との平等条約締結」など、のちの明治新政府の骨格となる近代国家の青写真が網羅されていました。

3. 亀山社中・海援隊の結成|日本初の株式会社形態による総合商社

龍馬は政治運動家であると同時に、極めて先見性の高い「実業家(ベンチャー起業家)」でもありました。長崎で結成した「亀山社中(のちの海援隊)」は、物資の輸送や貿易、航海術の習得を行う組織であり、日本初の民間商社・総合貿易商社と位置づけられています。

身分制度が厳格だった江戸時代末期において、脱藩浪士や町人など身分を問わず有能な人材を集め、海運ビジネスを通じて活動資金を自給自足しながら政治工作を展開するシステムを作り上げた点は、世界的に見ても極めて独創的な試みでした。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。