世間が侮蔑の意図で投げる言葉を、自らの魂の最高到達点として受け止めた人物がいます。岩手県花巻が生んだ詩人・宮沢賢治です。
1931年(昭和6年)11月3日、肺結核が悪化し死の淵をさまよっていた35歳の賢治は、黒い革表紙の手帳に鉛筆を走らせました。のちに国民的詩作として語り継がれる『雨ニモマケズ』の末尾には、衝撃的な一節が刻まれています。
「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」
賢治はなぜ、人々から嘲笑される「デクノボー」を熱望したのでしょうか。単なる自己卑下や厭世観ではありません。その背景には、法華経(妙法蓮華経)に深く帰依した賢治の透徹した仏教思想が存在します。
法華経の「常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)」には、出会うすべての人々に頭を下げ、「私はあなたを敬います。あなたは必ず仏になれる方だからです」と拝み続けた常不軽菩薩が登場します。人々は彼を狂人扱いし、罵声を浴びせ、杖で打ち据え、瓦や石を投げつけました。それでも菩薩は怒らず、逃げ去りながらも遠くから礼拝を繰り返しました。
賢治が目指したデクノボーとは、まさにこの常不軽菩薩の化身です。人間は誰しも「人から賢く見られたい」「有能だと称賛されたい」「他者より優位に立ちたい」という我執(エゴ)に囚われます。しかし、知者ぶって周囲と競い合う生き方は、争いと孤立しか生みません。賢治にとってのデクノボーとは、名誉欲や知性をひけらかすプライドを完全に削ぎ落とし、誰の敵にもならず、ただ他者の苦しみに寄り添う「究極の無我・絶対的な利他」の象徴だったのです。