次男・池田城久氏の死に関する真相は、当時から様々なメディアで取り上げられてきた。創価大学卒業後、学会本部で実務経験を積んでいた城久氏は、誠実な人柄と抜群の事務処理能力で周囲の信頼を集めていた。若手幹部からの人望も厚く、将来のリーダーシップを担う期待が寄せられていた時期の出来事である。
病因は急性腹膜炎を伴う胃潰瘍の穿孔。急性の病状悪化により、救急搬送も虚しく息を引き取った。突如として途絶えた未来。池田大作氏夫妻の悲しみはあまりにも深く、聖教新聞の紙面でもその哀悼の意が切々と報じられた。
創価学会の歴史において、この「1984年の激震」は単なる個人的損失ではなく、組織の路線転換を迫る契機となった。当時、昭和から平成へと向かう社会情勢の中で、学会は批判的な世論や宗教法人業界からの厳しい視線に晒されていた。城久氏の存在は、急激な組織拡大の中で内部の結束を保つための大きな希望であっただけに、その損失が与えた心理的ダメージは極めて大きかった。