名字研究の専門家や法務省の戸籍統一文字データベースの調査によると、日本全国に存在する「ワタナベ」の表記バリエーションは、俗字や誤字を含めるとなんと58種類以上(諸説あり)に及ぶと報告されています。いわゆる「渡辺と渡邊と渡邉の種類」や「渡辺のなべの漢字一覧」を一覧化すると、目を見張るほどの多様性があります。
なぜこれほどまでに膨大な渡邉の異体字一覧が生まれてしまったのでしょうか。その最大の契機は、明治5年(1872年)の「壬申戸籍」の編纂にあります。当時、全国民に姓を名乗らせて戸籍を登録する際、役場の筆耕係が住民から提出された手書き文字をそのまま書き写しました。その際、墨の滲みによる点の有無、草書体や崩し字の自己流解釈、「自」が「白」になったり「宀」が消えたりといった転記の揺らぎが、法的な正式文字としてそのまま確定してしまったのです。
SNSやネット掲示板の当事者コミュニティを検証すると、現代を生きる「渡邉」姓の方々のリアルな葛藤が浮かび上がってきます。
「銀行口座の開設やパスポート申請のたびに、窓口で『渡邉の邉で間違いありませんか』と確認され、手書き書類の細い記入枠に潰れないよう書くだけで一苦労する」(30代・金融関係)
「Webサイトの会員登録や航空券の予約システムで『環境依存文字』として弾かれ、やむなく『渡辺』と入力したら、当日の本人確認書類と一致せず別室へ案内されそうになった」(20代・IT企業勤務)
デジタルシステム上では時に「外字」として不便を強いられる一方で、当事者の多くは「先祖代々受け継いできた誇り高い文字」としての愛着を抱いていることがアンケート調査などからも窺えます。手書きの場面で相手がこの文字を完璧に書いてくれた瞬間、当事者は「自分のルーツを大切に扱ってもらえた」という強い安心感を覚えるのです。