織田信長の正室として最も広く知られている女性が、美濃国の戦国大名・斎藤道三の娘である濃姫です。「濃姫」という呼び名は「美濃から来た高貴な姫」を意味する通称であり、江戸時代の記録などでは「帰蝶(きちょう)」や「鷺山殿」とも記されています。
天文18年(1549年)、尾張の織田信秀と美濃の斎藤道三の間で結ばれた和睦の証として、濃姫は信長のもとへ輿入れしました。この政略結婚が成立した背景には、激しい抗争を続けていた両家が休戦協定を結び、東の今川氏など周辺勢力に対抗するための軍事同盟を強化するという明確な政治的狙いがありました。
長年議論の的となっているのが、織田信長と妻・濃姫の間に子供がいたのかという点です。結論から言うと、信頼性の高い同時代史料である『信長公記』や当時の公家日記において、濃姫が男子や女子を出産したという確固たる記録は確認されていません。
信長の長男である織田信忠をはじめ、次男・信雄、三男・信孝など、記録に残る信長の子女たちはいずれも側室から生まれています。当時の武家社会では正室に男子が生まれない場合、側室の子を正室の養子として育て、家督継承権を付与することが一般的な慣習でした。実際、嫡男である織田信忠は生駒吉乃が生んだ後、正室である濃姫の養子という形式をとって後継者としての正統性を補強されたと考えられています。