沈まぬ太陽のモデル小倉寛太郎の真実!Jalの闇と闘った男の半生

沈まぬ太陽のモデル小倉寛太郎の真実!Jalの闇と闘った男の半生

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1985年8月12日、単独機として史上最悪の死者520名を出した日本航空123便墜落事故が発生する。『沈まぬ太陽』のクライマックスの一つである「御巣鷹山篇」において、恩地徹は救援隊および遺族係として事故処理の最前線に立たされる。

身元確認の難航する体育館の異臭、愛する家族を突然奪われた遺族たちの怒号と慟哭。小説で描かれたそれらの生々しい描写は、山崎豊子が遺族や関係者に直接取材を重ねて紡ぎ出したものだ。小倉寛太郎自身もまた、事故直後に会長へ招聘された伊藤淳二(カネボウ元会長)のもとで会長秘書室長に抜擢され、事故後の組織改革と遺族補償の実務に深く関与することになる。

安全軽視の歪みが、最悪の形で爆発したあの日。小倉が労組時代に警鐘を鳴らし続けた「安全第一」の理念が、尊い520名の命と引き換えに証明されてしまったという皮肉。事故処理の現場で小倉が目の当たりにした光景は、彼の心に消えない傷を残すと同時に、企業の社会的責任とは何かを日本社会全体に鋭く問いかける契機となった。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。