成婚当時の若い頃の写真を振り返ると、香淳皇后は和服・洋装ともに気品にあふれ、切れ長の瞳と優しい笑みが印象的な佇まいを見せています。歴代の天皇が一夫一婦制を貫く礎を築いたのも、昭和天皇と香淳皇后の固い信頼関係によるものでした。
成婚後、夫妻には長女・照宮(成子内親王)をはじめ4人続けて内親王(女子)が誕生しました。宮中や政界からは「一夫多妻(側室制度)の復活」を求める声が公然と上がりましたが、昭和天皇は側室を迎えることを断固として拒否。「良子との間の子を待つ」という姿勢を貫き、1933年(昭和8年)12月23日、待望の第一皇男子である継宮明仁親王(上皇さま、当時は皇太子・皇太孫)が誕生したことで、皇室と国民全体が歓喜に包まれました。
吹上御所での日常生活において、お二人は極めて仲睦まじい夫婦として知られていました。生物学者でもあった昭和天皇の植物採集や研究に香淳皇后が寄り添い、皇居内の散策を日課とされていました。香淳皇后は「桃蹊(とうけい)」の雅号を持つ優れた日本画家でもあり、四季折々の草花や風景を繊細な筆致で描く文化人としても高い評価を受けています。
昭和50年代以降の記者会見の記録や当時の肉声映像に残るお姿からは、昭和天皇の言葉に優しく相槌を打ち、ユーモアを交えながら語りかける朗らかな人柄が如実に伝わってきます。戦中・戦後の激動期において、昭和天皇の精神的支柱であり続けたのは間違いなく香淳皇后の存在でした。