日向国をめぐる議論では、現代人の地理的直感と古代・中世の記録との間にいくつかの顕著な「誤解」が存在します。
誤解1:「日向の国」は最初から宮崎県と同じ形だった?
前述の通り、律令成立当初の大日向国は現在の鹿児島県本土全域を含んでいました。702年と713年の分割によって大隅・薩摩が成立したため、古代初期の文献に見える「日向」の記述には、現在の鹿児島県域の事象が含まれているケースが多々あります。
誤解2:天孫降臨の「高千穂」はどちらか一方が完全な偽物?
西臼杵郡の高千穂町と霧島連峰の高千穂峰を巡る「どちらが本物か」という二者択一の議論は、江戸時代から本居宣長や平田篤胤ら国学者を巻き込んで展開されました。しかし現代の宗教社会学や歴史地理学では、「山岳信仰が時代とともに複数の霊峰へと投影・分祀された」と捉えるのが学術的標準です。いずれの地も、古代人が天と地の交わりを体感した聖地として真正な信仰空間を形成しています。