STAP研究の原点は、日本国内だけに閉じ閉じたものではなかった。彼女が渡米して在籍したハーバード大学医学大学院での経験、そして同大学の最高権威の一人であったチャールズ・バカンティ教授との共同研究こそが、この物語の核心にある。バカンティ教授が提唱していた「ストレス刺激による細胞の初期化」という仮説が、若い研究者であった彼女の情熱と結びつき、一連のプロジェクトへと駆動していった。
論文捏造の認定後も、バカンティ教授側は一定期間、細胞の多能性獲得に関する特許出願や独自の検証を諦めなかった。アメリカの学術コミュニティにおける成果への執着と、日本側の理化学研究所が被った組織的ダメージの温度差は鮮明だった。学術的探求と個人的な野心が絡み合った結果、国際共同研究における責任の所在という重い課題を世界に突きつけることになった。