天覧試合とは?定義と歴史の真相|伝説の巨人阪神戦から最新動向まで詳解

天覧試合とは?定義と歴史の真相|伝説の巨人阪神戦から最新動向まで詳解

天覧試合とは?定義と歴史の真相|伝説の巨人阪神戦から最新動向まで詳解の背景について、専門知識を詳しくお届けします。

日本スポーツ史上、天覧試合の代名詞として語り継がれているのが、1959年(昭和34年)6月25日に後楽園球場で行われた「巨人阪神天覧試合」です。昭和天皇と香淳皇后がプロ野球の公式戦をご観戦されたのは、90年を超えるプロ野球の歴史の中でこの試合以外に存在しません。

当時の社会背景として、プロ野球はすでに国民的娯楽へと成長していましたが、依然として「職業野球」に対する社会的一部知識層の偏見も残っていました。宮内庁との折衝を重ね、この天覧試合を実現させた読売新聞社主・正力松太郎の執念と、国民統合の象徴としてプロ野球を御覧になりたいという昭和天皇の意向が合致して実現した大一番でした。

試合は、筋書きのないドラマを地で行く展開を見せます。先制、逆転、同点と双方が意地をぶつけ合い、4対4の同点で迎えた9回裏。宮内庁から通達されていた「天皇陛下の球場退出時刻」は21時15分と定められていました。試合進行が長引き、引き分け再試合になれば、途中で天皇陛下が退席される事態が目前に迫っていたのです。時計の針が21時12分を指したその時、打席に入ったのが巨人のルーキーイヤーを終えたばかりの23歳、長嶋茂雄でした。

マウンドには、のちに阪神の魂と呼ばれる若きエース、村山実。カウント2ボール2ストライクからの5球目、村山が投じた渾身のインコース低めへの切れ味鋭いシュートを、長嶋がすくい上げました。打球は夜空を切り裂き、後楽園球場の左翼ポール際スタンドへと飛び込む劇的なサヨナラ本塁打となったのです。

この一打をめぐる人間模様は、後年のノンフィクションやインタビューでも克明に語られています。村山実は生前、テレビ番組の回顧録や自著で「あの球は絶対にファウルだった。長嶋さんのバットの風圧と審判の目の錯覚だ」と生涯悔しさを口にし続けました。敗戦投手としてベンチ裏で人目もはばからず号泣した若きエースの姿は、単なる1試合の勝敗を超えた執念を物語っています。一方の長嶋茂雄も、「打席に入った瞬間、頭の毛が逆立つような緊張感だった。打った瞬間、入ると確信して無我夢中でダイヤモンドを一周した」と後に述懐しています。試合終了の時刻は21時14分。まさに天皇陛下が席をお立ちになる1分前の出来事でした。この劇的な結末によって、プロ野球は名実ともに「日本の国民的スポーツ」としての地位を確立したのです。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。