当時のイギリス側軍法会議記録や残された傭兵たちの証言録を精査すると、兵士たちが抱いていた絶望の深さが浮き彫りになります。
反乱の先駆けとなった第34ネイティブ歩兵連隊の兵士マンガル・パーンデーは、処刑直前の尋問に対し「自分は仲間たちを裏切ることはできなかった。我々の信仰と名誉を守るために引き金を引いた」と陳述しています。単なる軍規違反ではなく、個人の実存と宗教的アイデンティティを賭けた行動であったことが窺えます。
メーラトで蜂起したシパーヒー部隊は、デリーへと進軍してレッド・フォート(赤い城)を占拠。当時のムガル帝国第17代皇帝バハードゥル・シャー2世(ザファル)を最高指導者として推戴しました。当時80歳を超えていた老皇帝自身は政治的野心を失って詩作に耽る日々を送っていましたが、押し寄せる反乱軍の熱気に抗えず、名目上の反乱軍盟主として担ぎ出されることになります。
この動きに呼応し、カーンプルでは元宰相の養子ナーナー・サーヒブ、ジャーンシーでは勇猛果敢な女性指導者ラクシュミー・バーイーらが立ち上がり、反英闘争の炎は北インド全域へと拡大していきました。