なぜ平尾龍磨はこれほどまでに極端な行動に及んだのか。その足跡を辿ると、幼少期から青年期にかけての生い立ちと、社会との断絶が浮き彫りになります。
福岡県出身の平尾容疑者は、小・中学校時代は運動神経が極めて抜群で、特に器械体操や球技において際立った身体能力を示していました。瀬戸内海の冷たい海を泳ぎ切り、民家の屋根伝いに潜伏を続けた驚異的な身のこなしは、この時期に培われた身体性が土台となっていたことは間違いありません。
しかし家庭環境は決して恵まれたものではなく、少年期から万引きや無免許運転などの非行を繰り返すようになります。成人後も定職に長く就くことができず、生活費に困窮しては空き巣や車上荒らしに手を染めるという悪循環から抜け出せなくなっていきました。福岡や愛媛など複数県にまたがる広域窃盗事件を重ね、累犯受刑者として刑務所への収容を経験することになります。
特筆すべきは、大井造船作業場に選定されていたという事実です。同作業場へ配容されるためには、初犯もしくは再犯であっても改善更生の意欲が極めて高く、集団生活に適格であると判断された「模範囚」であることが厳格な条件でした。平尾容疑者は刑務所内での表向きの勤務態度が極めて真面目で、礼儀正しく作業に従事していたことから選抜されていました。しかしその内面には、他者との関係性を健全に構築できない孤立感と、強い衝動性が常に燻っていたのです。