渋谷駅『明日の神話』が放つ真の警告と奇跡の復活劇を徹底解剖

渋谷駅『明日の神話』が放つ真の警告と奇跡の復活劇を徹底解剖

渋谷駅『明日の神話』が放つ真の警告と奇跡の復活劇を徹底解剖に関する専門家の意見を詳しく解説いたします。

『明日の神話』が誕生したのは1968年から1969年にかけてのことでした。メキシコの実業家マヌエル・スアレス氏が建設を進めていた超高層ホテル「オテル・デ・メヒコ(現・ワールドトレードセンター・メキシコシティ)」のメインロビーを飾る大壁画として、岡本太郎に直々に制作が依頼されたのが発端です。

岡本太郎はメキシコ郊外に特設アトリエを構え、過酷な環境下で巨大な14枚の強化プラスチックパネルに命を吹き込みました。しかし、依頼主の経営悪化によってホテルの開業計画は頓挫。完成した壁画は建物に取り付けられることなく取り外され、現地の資材倉庫などを転々とするうちに、いつしか美術界から完全に姿を消してしまいました。

「太郎の最高傑作が、どこかで生きているはずだ」――その執念で捜索を続けたのが、太郎のパートナーであり岡本太郎記念館の初代館長を務めた岡本敏子氏でした。2003年秋、メキシコシティ郊外の荒涼とした資材置き場で、雨風にさらされ激しく損傷した巨大壁画の残骸がついに発見されたのです。敏子氏は当時の手記で「絵の前に立った瞬間、太郎の激しい息遣いが聞こえた。傷だらけになっても絵は死んでいなかった」とその圧倒的な熱量を振り返っています。

日本へ里帰りを果たした壁画は、愛媛県で行われた一大修復プロジェクトへと引き継がれました。修復家・吉村絵美留氏を中心とするチームが、亀裂の補修、剥離した絵の具の定着、補彩作業を約1年にわたり実施。総事業費数億円規模のプロジェクトを経て、2006年に奇跡的な再生を完了しました。その後、複数都市の誘致合戦を経て、太郎がかつてアトリエを構えた青山に近く、最も多くの人々が日常的に行き交う場として、2008年に渋谷マークシティ連絡通路への恒久設置が決定したのです。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。