「苦悩の梨は本当に中世ヨーロッパの法廷や地下牢で使われていたのか」という疑問に対し、近世犯罪史の研究者たちは冷徹な結論を下しています。中世からルネサンス期にかけての公的な裁判記録、自白調書、あるいは『魔女に与える鉄槌(マレウス・マレフィカルム)』をはじめとする拷問マニュアルのどこを探しても、苦悩の梨に関する記述は存在しません。
当時の拷問は気まぐれな残虐行為ではなく、教会法や世俗法に基づいた厳格なマニュアル(骨折や流血を伴わない「水責め」や「吊り拷問(ストラッパード)」など)に縛られていました。内部組織を不可逆的に損壊させ、自白を得る前にショック死や敗血症死を引き起こすような器具は、法的手続きの観点からも極めて非実用的な代物だったのです。
オーストラリアの研究者クリス・ビショップ(Chris Bishop)氏らによる詳細な金属工学的調査では、現存する「苦悩の梨」の多くについて以下の事実が判明しています。
- 強度の致命的な不足:現存する個体の多くは真鍮(ブラス)や薄い鍛鉄で作られており、ネジのピッチが浅く、生体筋肉の強い収縮力に抗して組織を押し広げるだけのトルクを生み出せない。
- スプリングと装飾の不自然さ:中世の鍛冶技術の範疇を超えた精密な彫刻が施されている一方、ネジ機構自体は繊細すぎて、強い負荷がかかると破損する構造になっている。
- 金属年代の不一致:「16世紀製」と銘打たれた博物館収蔵品の金属組成を分析したところ、19世紀以降に精錬された金属の特徴を示した例が複数報告されている。
つまり、苦悩の梨は「中世に実在した拷問器具」ではなく、近代以降に作られたレプリカ、あるいは全く別の用途(医療器具や錠前破り防止具、靴の拡張器など)だった道具にセンセーショナルなストーリーを付与した産物である可能性が極めて高いのです。