ネット上のQ&AサイトやSNSで頻繁に見かける疑問があります。「なぜゴミを漁るような不気味なカラスを、平安の貴族女性が絶賛しているのか?」「当時のカラスは現代と違って美しい鳥だったのか?」という素朴な戸惑いです。
結論から言えば、平安時代においてもカラスは決して優雅な愛玩鳥ではありませんでした。陰陽道が生活の隅々まで浸透していた当時の貴族にとって、不吉な鳴き声を上げるカラスはむしろ忌避される対象であり、和歌で称賛されるのはもっぱらウグイス、ホトトギス、雁、鶴などでした。
それにもかかわらず、清少納言はカラスを登場させました。ここに彼女の「反骨のリアリズム」が存在します。
彼女が見ていたのは、鳥そのもののステータスではなく「光景の中のダイナミズム」です。夕闇が迫る一刻の猶予もない時間に、鳥たちが己のねぐらを目指して必死に翼を動かす。その焦燥感と生命の息吹に焦点を当てたからこそ、カラスの黒い影は夕焼け空の中で強烈なコントラストとして立ち現れました。「三つ四つ、二つ三つ」という数の数え方にも、上空をばらばらと横切っていくリアルな視認のテンポ感が刻まれています。
「誰もが見過ごす、あるいは毛嫌いする日常のひとコマから、誰よりも早く美をすくい上げる」。これこそが清少納言の批評家精神であり、凡百の和歌的伝統に対する鮮やかなカウンターパンチでした。