『檸檬』は、起承転結というよりは、主人公の心のグラデーションを克明に追った詩的な心理劇です。青空文庫などで読める原文の格調高い文体を尊重しつつ、現代の読者に向けてそのストーリーラインを分かりやすく紐解きます。
物語は、あまりにも有名な書き出しで幕を開けます。
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」
語り手である「私」は、重い肺結核を患い、神経衰弱と経済的な困窮に追い詰められています。かつて心を弾ませた丸善の画本や文房具、詩や音楽といった高級な文化にすら激しい疲労と嫌悪を感じ、ただ街の底へ底へと逃げ込むように、安っぽい花火やおはじき、乾炭(南京飴)といった色彩豊かなガラクタを売る二本松や新京極の裏通りを彷徨う日々を送っていました。
そんなある日、「私」は寺町二条下ルにある果物屋「八百卯(やおしょう)」の前で立ち止まります。果物屋の店先は薄暗く、庇の上の闇と対照的に、裸電球の光を浴びて瑞々しい果物たちが美しく浮かび上がっていました。そこで「私」は、珍しく並んでいた外国産の檸檬をたった1個買い求めます。
手の中に収まる紡錘形(ぼうすいけい)の冷たさ、鼻を突く芳香、鮮やかな黄色。その完璧な物理的感触が、青年の内側にあった濁った不安を奇跡のように冷却し、晴れやかな喜びをもたらします。檸檬という頼もしい相棒を得た「私」は、かつて恐怖を感じて足が遠のいていたハイカラな洋書店「丸善」へ再び足を踏み入れる勇気を得るのです。
しかし、丸善の店内に漂う格式高い空気は、再び青年の胸を息苦しさで締め付けます。棚からアングルやゴッホといった豪奢な画集を次々と引っ張り出し、机の上に乱雑に積み上げてみるものの、かつての熱狂は蘇らず、憂鬱がぶり返してきます。その時、ふとした奇抜な悪戯心が青年の脳裏をよぎります。
青年は積み上げた美術全集の山を城塞に見立て、その頂上に黄金色に輝く檸檬をちょこんと据えました。雑多な絵の具の氾濫が檸檬という強烈な一点に吸い寄せられ、混沌とした空間が一瞬にして完璧な調和を取り戻します。「私」はそれを「活動写真の看板画のように奇体な趣き」を帯びた、恐ろしい爆弾に見立てるのです。
「もしこれが爆発したら、あの重苦しい丸善が粉微塵に吹き飛ぶだろう——」
そう心の中で呟いた青年は、檸檬を残したまま逃げるように店を飛び出します。京極の通りを下りながら、心の中に広がる悪戯の成功と、重苦しい世界を想像力ひとつで転覆させたことへの得も言われぬ爽快感に浸りながら物語は幕を閉じます。