特攻の父・大西瀧治郎の壮絶な切腹と遺書|介錯を拒んだ自決理由の真相

特攻の父・大西瀧治郎の壮絶な切腹と遺書|介錯を拒んだ自決理由の真相

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1945年8月16日午前2時頃、大西瀧治郎は渋谷区南平台の海軍次席官舎2階において、自ら腹を十文字に掻き切り、さらに喉を深く突きました。物音を聞きつけて駆けつけた多田武雄主計中将や副官の神重徳大佐、そして親交の深かった児玉誉士夫らが軍医を手配しようとした際、大西は意識を保ったまま強い語調でそれを制止しました。

「これには処置はいらん。介錯も頼むな。できるだけ長く苦しんで死ぬのだ」

軍医が傷口を縫合しようと針を近づけると、大西は「頼むから自然に死なせてくれ」と手を払いのけました。切腹において介錯を用いれば瞬時に絶命できますが、大西はあえて介錯を禁じ、止血すら拒絶しました。数千人の優秀な部下や若い搭乗員たちを死地へ追いやった最高責任者として、自らも筆舌に尽くしがたい肉体的苦痛を背負って逝くことこそが、唯一許される贖罪であると確信していたためです。

意識が薄れゆく中で大西が発した最後の言葉は、駆けつけた児玉誉士夫に対する「青年たちに自重するよう伝えてくれ。貴様は生き残って、日本を立て直すために働け」という懇願でした。出血多量と激痛のなか、丸一日近く苦しみ続けた大西は、同日午後6時すぎ、54年の生涯を閉じました。

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。