宮内庁によって「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として仁徳天皇の墓に治定されている大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。全長約486メートル、濠を含む総面積は甲子園球場約12個分に相当しますが、考古学界では長年、その被葬者をめぐる議論が続いています。
出土した円筒埴輪や須恵器の型式年代学、近年の発掘調査成果によれば、大仙陵古墳の築造時期は5世紀中頃から後半と推定されています。一方、日本書紀や古事記の記述に基づく仁徳天皇の実在時期とは数十年のズレが生じており、学術的には隣接する「履中天皇陵(ミサンザイ古墳)」の方が先に造られたとする見解が有力です。
現在では、大仙陵古墳の被葬者として仁徳天皇だけでなく、宋書に登場する「倭の五王」の讃(さん)や珍(ちん)、あるいは複数の王族による共同祭祀場だったとする複合説など、多角的な検証が進んでいます。宮内庁と学会による共同現地調査の継続により、1500年の封印が少しずつ解き明かされています。