なぜスイスでは外国人の自殺幇助が処罰されないのか。その根拠となっているのがスイス刑法115条です。同条文は「利己的な動機(遺産相続、金銭的利益、個人的な恨みなど)をもって他人の自殺を教唆または幇助した者は処罰される」と定めています。逆を言えば、「利己的な動機が存在しない場合、自殺の幇助は罪に問われない」という解釈が成立します。
この条文を根拠に、非営利団体が医師と連携して人道的観点から介助自殺をサポートしてきた歴史があります。しかし、近年このスイスの運用体制を揺るがす大きな事態が発生しました。オーストラリアの元医師フィリップ・ニッチケ氏が開発した3Dプリント製カプセル「サルコ(Sarco)」を巡る騒動です。
サルコは、カプセル内に入った本人が内部のボタンを押すことで窒素ガスが充填され、数分で低酸素状態に陥って苦痛なく意識を失い死に至る装置です。医師による処方薬(ペントバルビタールナトリウムなど)を用いず、医療従事者の手を介さずに完結する仕組みとして開発されました。しかし、2024年秋にスイス・シャフハウゼン州の森林地帯でサルコによる初の使用事例が発生した際、スイス警察当局は立ち会いを行っていた関係者らを即座に拘束・起訴しました。
スイス連邦政府の内相は「サルコは製品安全法および化学物質法の基準を満たしておらず、窒素を目的外に使用することは違法である」との公式見解を表明しました。2026年現在もサルコの運用は事実上禁止・凍結されており、この事件をきっかけに「外国人向け自殺幇助ビジネスへの監視をさらに強めるべきだ」とする法改正議論が連邦議会で激化しています。「機械による簡素化された死」はスイス社会でも激しい拒絶反応を引き起こしており、従来の医師による厳重な面談プロトコルを遵守する団体のみが合法性を維持している状況です。
また、安楽死における精神疾患の対象基準についても極めて厳格化されています。スイス連邦最高裁判所の判例では、身体疾患だけでなく難治性の重度精神疾患も理論上の対象になり得るとされていますが、実際には「その希死念慮が疾患の一時的な症状ではないこと」を証明するために、数年単位の治療歴と複数の独立した精神科専門医による鑑定が要求されます。外国人渡航者が精神疾患のみを理由に審査を通過することは、奇跡に近いほど高い壁が存在します。