時計の針を巻き戻すと、闘病の原点は2004年3月4日に遡ります。アテネ五輪野球日本代表監督として陣頭指揮を執っていた最中、突如として脳梗塞を発症。緊急搬送された集中治療室で一命を取り留めたものの、医師から告げられた診断結果は、右半身の完全麻痺と運動性失語症という極めて重篤な後遺症でした。
現役時代に驚異的な動体視力と身体能力を誇った国民的スーパースターにとって、自分の右腕が指先ひとつ動かず、発語しようとしても思い通りの言葉が出ないという現実は、想像を絶する絶望であったに違いありません。自著や当時の関係者の手記によれば、発症当初はベッドの上で天井を見つめ、無言のまま悔し涙を流す日々が続いたと記録されています。
脳卒中リハビリテーション医学において、機能回復のピークは「発症後半年から1年」と定義されることが一般的です。医学的には「維持期(プラトー状態)」に入ると機能の大幅な回復は極めて困難とされます。しかし長嶋氏は、その医学的常識に抗うように、毎日数時間に及ぶ過酷な歩行トレーニングや言語訓練を自らに課しました。失われた右手の代わりに左手で箸やペンを握る訓練を重ね、数年後には左手で見事なサイン色紙を書き上げるまでに至った事実は、リハビリ医学界でも特筆すべき実例として語り継がれています。