長谷川豊氏の経歴を語る上で避けて通れないのが、キャリアの重大な転換点となった2つの大きな騒動です。当時の公式発表資料および報道各社の取材記録から、その経緯を正確に振り返ります。
1. ニューヨーク支局時代の経費問題とフジテレビ退職
立命館大学産業社会学部を卒業後、1999年にフジテレビへ入社した長谷川氏は、『情報プレゼンター とくダネ!』などで知名度を上げました。しかし、2010年秋から赴任したニューヨーク支局勤務時における滞在関連経費の不正流用疑惑が浮上。2012年6月に降格処分およびアナウンス部からの異動が命じられました。
本人は業務上の立替手続きに関する認識の齟齬であると主張しましたが、組織との溝は埋まらず、2013年4月にフジテレビを自主退職。退職後はフリーアナウンサーとしてネット論壇やTOKYO MX『バラいろダンディ』などで過激な持論を展開し、一時的に独自のポジションを再構築しました。
2. 2016年「人工透析患者ブログ」による大炎上
決定的な打撃となったのが、2016年9月に自身のブログへ投稿した医療制度に関する記事でした。過激な見出しと「自業自得の人工透析患者」という文言を含む過激な主張は、全国腎臓病協議会をはじめとする患者団体や医療関係者から激しい抗議を受けました。
ソーシャルメディア上での大炎上に加え、スポンサー企業への抗議活動へと発展。結果として、当時担当していた地上波・地方局・TOKYO MXを含むすべてのレギュラー番組を降板する事態となり、放送ジャーナリズムの世界から事実上追放されることとなりました。