千日回峰行を語る上で、必ず取り沙汰されるのが「行の途中で挫折した場合は自決しなければならない」という伝説的な掟です。ネット上では「ただの都市伝説ではないか」「現代のコンプライアンス的にあり得ない」といった声も散見されますが、これは誇張でも比喩でもなく、歴史的・儀礼的に実在する本物の掟です。
回峰行に挑む僧侶は、修行期間中、常に以下の「死の道具」を白装束の懐に忍ばせて歩きます。
- 降魔の剣(短刀): 行を続けられなくなった際、自らの腹を切り裂くための刃物。
- 死出紐(麻紐): 木の枝に首をかけて命を絶つための長さ約2メートルの紐。
- 三途の川の渡し賃: 冥土への旅路で必要とされる六文銭。
比叡山延暦寺の規則において、行の途中で足の骨折や急病によって歩行が不可能になった場合、待っている選択肢は「自決」のみとされてきました。かつては、行の道半ばで行き倒れ、自ら命を絶った行者の墓(行き倒れ塚)が比叡山の山中に現存しています。大正時代以降、実際に切腹や縊死に至った公式記録は公表されていませんが、昭和期以降の修行者も例外なく「歩けなくなったらここで命を絶つ」という誓約書を書き、短刀を手にして山を登り続けています。
ただし、この掟の本質は「死を美化・強要すること」ではありません。仏教の専門家や宗教社会学者は、この極端な掟の心理的意図を次のように分析しています。
「人間は『いざとなったら逃げ道がある』と思った瞬間に、肉体の苦痛に屈してしまう。逃げ場を完全に塞ぎ、生きるか死ぬかの二者択一に精神を追い込むことで、自我や保身の意識を粉砕し、全生命力を祈りへと昇華させるための宗教的装置である」
「死ぬ気でやる」という安易な精神論ではなく、物理的に死を携行して歩くことで、行者は一歩一歩に文字通り全霊を込めることになります。これが、1000日におよぶ想像を絶する負荷を耐え抜くための精神的支柱となっているのです。