高森町湧水館の真実!破水事故から阿蘇屈指の清涼名所へ再生の全貌

高森町湧水館の真実!破水事故から阿蘇屈指の清涼名所へ再生の全貌

高森町湧水館の真実!破水事故から阿蘇屈指の清涼名所へ再生の全貌の詳細解説をご紹介します。役立つ情報が詰まっています。

高森町湧水館を訪れる上で欠かせないのが、このトンネルが掘削されるに至った昭和の壮大な国家プロジェクトの存在です。当時、熊本側の「高森線(現・南阿蘇鉄道)」と宮崎側の「高千穂線」を山元トンネルで結び、九州中部を東西に横断する「九州横断鉄道構想」が進められていました。

暗転が訪れたのは1975年(昭和50年)2月のことでした。坑口から約2,055メートルの地点を掘削中、突然の破水事故が発生。高圧の地下水脈を直撃したことで、毎分36トンという凄まじい水量の地下水が坑内へ濁流となって噴き出しました。この出水によりトンネル工事は完全に水没しただけでなく、高森町内の湧水地や井戸水が広範囲で枯渇。町民の生活用水や農業用水に甚大な被害をもたらす事態へと発展しました。

度重なる止水工事の試みも阿蘇の圧倒的な水圧の前には歯が立たず、1980年には工事の正式凍結が決定。横断鉄道計画は幻となり、高森町には莫大な建設費が投じられた長大なトンネルの残骸だけが取り残される形となりました。

しかし、高森町はこの巨大な負の遺産をそのまま放置しませんでした。「阿蘇の豊かな恵みである湧水を逆手に取り、地域再生のシンボルにできないか」という発想の転換から、1994年に掘削済み区間のうち約550メートルを整備し「高森湧水トンネル公園」として開園。隣接して水資源の仕組みや事故の歴史を記録・保存する資料館「高森町湧水館」が建設され、悲劇の事故現場は九州屈指のウォータースポットへと奇跡の転換を果たしたのです。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。