日本国内で長年語り継がれてきたロマンの一つに、「衣川の戦いを生き延びた源義経が蝦夷地(北海道)を経由して大陸へ渡り、チンギス・ハンになった」という伝説があります。江戸時代末期から明治期にかけてシーボルトらが紹介し、大正時代には小谷部全一郎の著書『成吉思汗ハ源義經也』が大ベストセラーとなったことで広く定着しました。
しかし、現代の歴史学および遺伝人類学のメスを入れると、この説の論拠は完全に崩壊します。
第一に、遺伝学的証拠です。日本人男性の約35%〜40%を占める代表的なY染色体ハプログループは「D1a2a(旧D1b)」であり、これは縄文時代から日本列島に固有の系統です。残りの大半は弥生系に由来する「O1b2」や「O2」系統で占められています。一方、チンギス・ハンを象徴する「C2-M217(スタークラスター)」系統は、日本国内のDNAサンプリング調査において一般集団から実質的に検出されていません。源氏の血脈が仮に日本古来の武家家系であるならば、モンゴル高原のハプログループと一致することは生物学的にあり得ない構造です。
第二に、同時代史料の厳密な照合です。チンギス・ハン(幼名テムジン)の生年は1162年頃とされ、義経(1159年生)と同世代ではあるものの、モンゴル側の正史『元朝秘史』やペルシア側の『集史』にはテムジンの幼少期からの過酷な部族抗争、捕縛、逃亡の記録が生々しく記録されています。大陸の草原で少年期を過ごした克明な記録が存在する以上、日本から成人後に渡航した人物と同一視する余地は皆無です。