この不条理な迷信の根源をたどると、古代中国に由来する干支・十干十二支と陰陽五行思想の体系に行き着く。十干の「丙(ひのえ)」は陽の火を表し、十二支の「午(うま)」もまた火の属性を持つ。すなわち、火と火が重なり合う「極めて激しい火の気」を宿す年と解釈されたのだ。
そこに決定打となる劇的な物語を植え付けたのが、江戸時代前期に起きた放火事件の当事者、八百屋お七である。恋人に会いたい一心で火を放ち、火刑に処された少女の悲哀劇は、のちに人形浄瑠璃や歌舞伎の演目『八百屋お七歌祭文』などによって広く大衆へと流布した。「お七は丙午の生まれだった」という俗説が創作を通じて定着し、民俗学・歴史学の分析においても、都市のエンタメ狂騒と火災への恐怖が結びついて偏見が固定化されたプロセスが指摘されている。