黒百合の「恐怖の花言葉」として語られる「呪い」「復讐」の源流をたどると、戦国時代の富山・立山にまつわる「早百合伝説」に行き着く。これは単なる都市伝説ではなく、歴史資料にも記録が残る由緒ある伝承だ。
佐々成政(1536〜1588年)は、富山城を本拠地とした戦国武将。その愛妾・早百合(さゆり)が、ある日「正室に男性との仲を讒言された」ことで成政の怒りを買い、立山の黒百合が自生する山中で処刑されたという伝承が残っている。死の間際、早百合は「黒百合の咲く場所で末代まで祟ってやる」という壮絶な呪詛の言葉を残したとされ、この言葉が花言葉「呪い」「復讐」の原点になったとされている。
史実との照合という点では、佐々成政が1588年に切腹した経緯——豊臣秀吉の家臣として九州に転封された後、肥後国統治に失敗して死去した——が、「早百合の呪いが成就した」という形で語り継がれてきた側面もある。富山の地元史研究家によれば、この伝承は江戸時代から民間に広く流布しており、立山周辺の黒百合に対する「触れてはならない花」というイメージはこの時代から形成されたとされる。
ただし現代の歴史学者の間では、早百合伝説の細部は「後世の創作的脚色による部分が大きい」という見解も多い。2026年現在においても、地元の富山県立山博物館などの公式資料では「伝承・民間伝説」として位置づけている。「呪い」の花言葉は史実というより、人々の想像力が生み出した文化的メタファーとして理解するのが最も正確だろう。