デビューと同時に、原田真二はその端正なルックスと愛らしいパーマヘアから、テレビ局や芸能メディアによって瞬く間に「スーパーアイドル」としてパッケージングされました。音楽雑誌だけでなく一般少女誌のグラビアを飾り、テレビ番組『ザ・ベストテン』では黄色い歓声を浴びる日々が続きます。
しかし、本人のアイデンティティはどこまでも「ロックミュージシャン」であり「コンポーザー」でした。当時の手記やインタビューでも語られている通り、テレビのスタジオで自らの意図しない演出を要求されたり、演奏よりもルックスばかりが消費される環境に対して、彼は強い葛藤と憤りを抱えていました。その反発心から、1979年には自らのバックバンド「THE CRISIS」を結成し、テレビ主体の活動から本格的なライブハウス・アリーナツアーへと舵を切ることになります。
SNSやファンのコミュニティにおける証言を検証すると、「当時はアイドルのように見ていたが、大人になって聴き直した時に楽曲の凄まじいコード進行と演奏力に驚愕した」という声が圧倒的多数を占めます。時代が彼の音楽的先見性に追いついていなかったことが、当時の熱狂と苦悩の根本原因でした。